イエスさまの独り言のつぶやき。「渇く」「万事完了」

shirasagikara2015-02-20

十字架の上で,イエスさまが口にされた「七つのことば」は有名です。
そのうち、二つは人間にむけて話されます(「ごらん、あなたの子、あなたの母」「あなたはきょう、わたしといっしょに楽園にいる」)。
さらに、三つは神さまにむけてのことばです(「父よ彼らをゆるしてください、何をしているのかわからないのです」「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」)。
残りの二つは「渇く」と「万事完了」ですが、これはイエスさまの「独り言」のつぶやきです。
十字架の下にいた処刑執行人たちは、「渇く」の声を、のどの渇きとおもい、海綿に含ませた酸いぶどう酒をイエスの口元に近づけます。しかし、この「渇き」はのどの渇きではありません。「イエスは、すべてのことが成しとげられたのを知り、『わたしは渇く』と言われた」からです(ヨハネ一九・二八)。
エスさまは何に渇かれたのでしょう。罪なきイエスが、罪そのものとなるという苦しみをなめつくし、ご自身の内にあるすべての愛、力、聖なるものをふりしぼって吐き出し、十字架であがないの死をとげられたゆえの渇きです。十字架刑による脱水症状の渇きではありません。
そのとき、さっと人類の罪をぬぐい一掃され、しかもそれを「上書き保存」されたのです。だからこそ、のどではなく魂が「渇かれた」のではないでしょうか。
「イエスは、このぶどう酒を受けると、『成しとげられた(万事完了)』と言い、頭を垂れて息を引き取られた」(ヨハネ一九・三〇)。
この「渇く」と「万事完了」の、二つのイエスさまの独り言のつぶやきこそ、わたしたちの「救済保証書」です。「神は、わたしたちを訴える『不利な証書』を破棄し、十字架に釘づけにして取り除いてくださいました」(コロサイ二・一四)。一点一画の打ち残しもなく、完璧に人類の救いが完了したという「独り言」のつぶやきです。
この「万事完了」ほど、うれしく、ありがたい言葉はありません。「十字架のことばは、滅んでゆく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です」(第一コリント一・一八)
<写真は庭の紅白梅>