H.ティーリケ 著「出会いと摂理」(鈴木皇訳)の刊行

shirasagikara2015-03-03

ヘルムート・ティーリケは、著名なドイツの神学者です。ヒットラーナチス政権時代には、哲学者・ヤスパースと共にハイデルベルグに幽閉されます。この本を翻訳したのは物理学徒の鈴木皇さん。彼がドイツへ留学したさい、酒枝義旗先生のすすめで当時ハンブルグ大学学長だったティーリケ先生と出会いました。
本書巻頭の「出会いと摂理」は、ティーリケ先生の生い立ちや、学究生活の喜びや悩みの回想です。
第二次世界大戦さなかの一九四二年、シュツットガルトの大教会で、当時三四歳のティーリケ先生の聖書の話に、毎週木曜日夜三〇〇〇人が身分年齢の上下をとわず、中には将官や兵士も集まり、さらに二〇〇人ほどのボランティアが手分けして、その講演内容の要約を、毎週複写しては前線の兵士へ送るという「大福音出版活動」が始まり、兵士から大反響があったという驚くべき光景もしるされます。敗戦後は、わずか四三歳でチュービンゲン大学学長に就任。大統領候補にも擬せられた人物です。
また「日本との出会い」は、一九五八(昭和三三)年、五〇歳のとき、八月二三日に横浜に上陸してから、東京・京都・奈良をめぐり、三一日に神戸を出航するまでの、たった一週間の記録ですが、なんと実りゆたかな旅でしょう。とくに京都での禅宗の高僧との対話は圧巻です。「このような文化の最高峰と相対するには、、相手をただ布教の目的としか考えないような宣教師では、物笑いになるだけだ」と、深い日本理解を示しています。
最後の「キリスト教の真理」では、三つの真理があると言います。第一は、ガリレイのように自説を撤回して「わたしは倒れても真理は立つ」という真理があり、第二は、宗教裁判で焼き殺されたブルーノのように「わたしと共に真理は立ちまた倒れる」という真理もあるが、第三のキリストの真理はその中間にあり、ガリレイと同じく「わたしなしで存在し」、ガリレイと違って「わたしなしではあらわにならない真理」だと説きます。一読をすすめたい本です。活字が大きく翻訳がなめらかです。
「出会いと摂理」(A五、二〇一四年一二月刊、一五〇〇円、キリスト教図書出版社)「天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている」(マタイ一三・五二)