パウロの「不合格」が感謝に

shirasagikara2015-03-25

<4月からこのブログは、5日、15日、25日と「5 の日」に掲載します>
この春、入学試験に合格された方々もあれば、不合格の方たちもいられます。しかし不合格になり希望どおりゆかなかったことが、のちのちその人にとっても「かえってよかった」思い出になり、「感謝」になることが多いのです。あの使徒パウロもそうでした。
いま欧州諸国は、キリスト教の本拠地のように見なされていますが、これは使徒パウロが、行く先々で伝道に失敗したあげくのはて、欧州に渡ったのが始まりです。
使徒言行録」16章で、パウロたちが「アジア州でみことばを語ることを禁じられた」とか、「ビテニア州でもイエスの霊が(伝道を)ゆるさなかった」とあるのは、いまのトルコで、伝道が八方ふさがりの「不合格」になったという意味です。
がっかりして、たどり着いた地中海のトロアスという港町で、パウロはある晩「マケドニアギリシア)伝道」の夢をみるのです。失敗しましたが「もう一度やるんだ」と立ち上がったのです。主にゆだねて海を渡るパウロは、すかんぴんの伝道者です。もちろん権力もお金もありません。渡って行く先に知人はなく、つてもありません。あるのはただ胸に燃える「福音」だけです。
このトロアスからギリシアまでのエーゲ海は、パウロより400年前、東の大国ペルシアの大軍が海を押し渡ってギリシアを攻撃しました。300年前には、アレキサンドル大王が、逆に西から東に攻め込みペルシアを滅ぼします。100年前には、ローマ軍が、同じく西からこの海を越えて領土をひろげます。そのたび、おびただしい「軍船」には「騎馬軍団」や「剣士・槍兵」が乗りこみ「軍旗」がひらめきました。すべて「力の象徴」です。
ところがそれらの「力」はすべて滅んで、弱々しくみえた「福音」が残ったのです。欧州に根づいたのです。「不合格」が「大成功」にひっくり返ったのです。
若いとき、ポキポキ折られたほうが強くなります。あのペトロもパウロもイエスさまに背いた人物です。だから、かえって強くされました。人生80年の時代です。若い日の1年や2年の遅れ、あとになれば感謝の年になるはず。
「泣きながら出て行った人は、、、喜びの歌をうたいながら帰ってくる」(詩篇127・6)