かけ集まる集会、かき集める集会

shirasagikara2015-06-05

「特売」と広告してお客を「かき集める」スーパーもあれば、黙っていてもお客が「駆け集まる」スーパーもあります。「特別伝道集会」と銘うって聴衆を「かき集める」教会もあれば、黙っていても人々が「駆け集まる」教会があります。
人はあんがい実力と中身を見抜いているのです。そこでほんとうに値打ちのある品が手ごろの値段で売られ、教会でふだん心にひびく話が語られているか、どうかを。
エスさまが、早朝のエルサレム神殿にあらわれると、そんな時間でも民衆がかけ集まりました(ヨハネ8章)。
天路歴程」を書いた清教徒バニヤンは、国教会の「おたずね者」でしたが、冬の平日の早朝のロンドンの教会で説教すると、聞きつけた聴衆が1200人も押しかけ、日曜日の場末の教会説教に3000人がかけ集まりました。福音が人々の胸を熱くさせたからです。
内村鑑三が、1921(大正10)年から翌年にかけて、2年ちかく東京・大手町で「ロマ書講演」をしたさい、毎週600人がかけ集まったそうです。新幹線のない時代に、名古屋や栃木県からも毎週駆けつけました。福音の中核が語られたからです。
3月3日のブログで紹介した「出会いと摂理」(ティーリケ著・鈴木皇訳)では、ドイツの神学者・H. ティーリケ先生が、1942年に34 歳で始めた毎木曜夜のシュツットガルト教会講演には、米英空軍による連夜の空襲のさなかでも、きまって3000人がかけ集まった姿は驚きです。
あるときティーリケ先生が、爆弾が命中して50人が死んだ教会の防空壕のそばに立っていると、一人の女性が「わたしの主人はここで最期をとげましたが、わたしはあなたにお礼を言いたい。あなたの講演で、わたしの主人は『死の備え』をさせていただいたから」と感謝したそうです。そうです、まことの福音が語られるところへ、人は万難をおしのけ、百キロを遠しとせず、死をも恐れずかけ集まるのです。
ひとむかし前、日本で「クルセード(十字軍)伝道」と称して、米国のテレビ伝道者や、日本の牧師たちが、信徒を「総動員」して東京の日本武道館などに万人を越える聴衆を「かき集めた集会」がありました。そこに残るのは幻滅と疲労です。「駆け集まる集会」と「かき集める集会」は中身が違います。
「イエスがおられることが知れ渡り、大勢の人が集まったので、戸口のあたりまですきまもないほどになった」(マルコ2・2)<写真はカヤつり草の花>