国立国会図書館調査局で働いて

shirasagikara2015-07-15

7月6日(月)の朝日新聞・朝刊に「書庫に差す真理の光」という1ページの国立国会図書館紹介記事が載りました。
そこには、巨大な地下8階の新聞・雑誌書庫や、蔵書が東京本館だけで2632万点とかが紹介されています。そして閲覧者の貸し出し大カウンターの上の「真理がわれらを自由にする」の文字は、この図書館の設立理念で、新約聖書に由来するとありました。
わたしはこの図書館に勤めましたから、みなさん「藤尾さんは図書館員・ライブラリアン」と見なされがちですが、図書館の司書の仕事をしたことは一度もありません。だいたい調査局の「調査マン」でした。
この大図書館のおこりは、日本の敗戦の翌年(1946・昭和21)に、東京大学大内兵衛教授らが、「日本がアメリカに敗れたのは、日本の帝国議会には米国のように強力な議会図書館がなく、官僚の出す法案の是非を判断する資料群も頭脳集団も持たず、行政の言いなりになったからだ」と、貴衆両院に「議会図書館設置の請願」を出され採択されたのが始まりです。
新しい国会にシンクタンク(諸分野の専門研究機関)をつくろうとして国会図書館が出来たのです。だから国立国会図書館の中心に調査局(正式には調査及び立法考査局)がありました。つまり図書館の中に調査局があるのでなく、調査局を支援するため日本最大の図書館が形成されたのです。
館長は大臣待遇でした。800名あまりの職員のうち、調査局には150名ほどが10ほどの専門部門に配置され、十人あまりの次官待遇の専門調査員がいました。東大教授や気象庁長官や、各省の次官経験者、朝日、毎日新聞から専門家も来られ、局内から昇進するものも多く、わたしの上下左右の同僚に旧制の博士がおり、そこは人材の森でした。またその仕事のおもしろかったこと。国会議員の質問に答え、国会審議に役立つ内外の資料を準備するのですが、なにしろ日本最大の書庫を自由に利用でき、毎日、本を読んで原稿を書くのが仕事というありがたさで、わたしでも学術会議の選挙権がありました。
また聖書研究会をつくり無教会からカトリックまでひとつに集まり、これまた楽しい集会ができました。それは67年後の今もつづいています。主のあわれみです。
「書物はいくら記してもきりがない。学びすぎれば体が疲れる」(コヘレト12・12)<写真は水引草>