「明治生まれ」が「大正生まれ」を戦場に

shirasagikara2015-08-15

きょう2015年8月15日は、70年目の敗戦記念日です。70年前のきょう終わったあの戦争は「明治生まれの政治家・官僚・高級参謀」が「大正生まれの若者」を殺した戦争でした。いままた戦争を知らない「昭和生まれの政治家や防衛官僚」が「平成生まれの若者」を戦争に追いやるかもしれない「安全保障関連法案」をつくろうとしています。
そんなことは「絶対にない」「まったくありえない」「今後もない」と、安倍総理が言い切っても、はたしてそうでしょうか。
むかし国立国会図書館に勤めていたころ、書庫の中で全国から集まった「学校名簿」を調べて驚きました。どの学校名簿でも大正生まれ、とくに大正6年(1917)から10年(1921)生まれの5年間に「戦死」が集中しているのです。そこには「名前」のつぎに「戦死」とだけ印刷され「住所」がなく、「戦死」「戦死」「戦死」「戦死」と連続して不気味でした。
なぜかというと、大正元年(1912)生まれが、兵役適齢年齢の20歳になった昭和6年(1931)に満州事変がおこり、大正の終わりの15年(1926)生まれが20歳になった昭和20年(1945)に大戦争が終わったからです。大正時代はわずか15年しかありません。その15年間に生まれた若者が、あの「15年戦争」とすぽっと徴兵年齢が一致したのです。
明治生まれで戦死が少なかったのは、まだ戦争も小規模で、日本軍が優勢だったころの戦闘だったからです。大正6年から10年生まれがたくさん戦死したのは、彼らが部隊の中核になったころ、絶望的な広い戦場で戦ったからです。昭和生まれで戦死したのは「予科練」「少年戦車隊」などの志願兵だけでした。
「明治」とか「大正」という区分は、天皇死去のための偶然の区切りですが、あの戦争で死んだのは、ほとんど大正に生まれた青年でした。その大正14年生まれのわたしが、90歳になっています。大正生まれだからわかるのです。
いまの国会議員や防衛官僚はすべて「昭和生まれ」でしょう。自衛隊員はほとんど「平成生まれ」でしょう。いつの世も政治家や高級官僚は後ろにいて、若者を前へ押し出すのです。押し出されて帝国陸軍に入隊する前に、苦しみ、キリストを信じて安堵した、あの悲痛な経験をわたしは忘れません。この法案は廃案にすべきです。
「兵役に就くことのできる20歳以上の者を部隊に組んで登録しなさい」(民数記1・3)<写真は忍冬の赤い実>