「聖書を新聞のように」「新聞を聖書のように

shirasagikara2015-10-05

「『聖書を新聞のように』『新聞を聖書のように』読め」といったのは内村鑑三だ。古い聖書のことばを、きょうの出来事のように新鮮な驚きで読み、きょうの出来事の中に、永遠の真理をつかみ取れといったのだ。それでわたしは、9月のブログを「新聞月間」にしてみた。それでわかったのは、ふつう聖書は表から読む。ところが新聞づくりは裏から、編集者という他人の目線で読む。つまり聖書が立体化するのだ。おもしろい。
まず9月5日。新約聖書「マルコ福音書」5章の、「重い精神障害者」のいやしと引き換えに2000匹の豚が死んだ記事を、紀元28年の「デカポリス新聞」に書いた。すると2000年前の聖書の出来事がきょうの出来事として浮かびあがった。そのときの「デカポリス駐屯・海峡第10軍団の軍旗紋章は豚」の根拠は、新約学者の東京大学教授・前田護郎先生の「聖書愛読」誌で教えられたものだ。BC36年、オクタヴィアヌスポンペイウスを破ったさい、シシリー海峡で戦果をあげ「海峡第10軍団」と名乗ったらしい。
つぎは9月15日。紀元50年刊行の「フィリポ新聞」は「使徒言行録」16章が題材だ。パウロとシラスが初めてヨーロッパに福音を伝えた章だ。パウロ、リディアらが喜び語る姿に憧れた「占いの霊の女奴隷」は、しつこくパウロにつきまとう。たまりかねたパウロが、その女性から悪霊を追いだす。正気に返った女奴隷は金もうけの道具にならない。パウロらは「金の恨みで」迫害されたのだ。投獄されたパウロとシラスらのふるまいに囚人らが感服し、逃げられたのに逃げなかった心情を囚人の立場で記事にした。
三つ目は9月25日。紀元58年刊行の「ローマ・カタコンベ新聞」は、「ローマの信徒への手紙」を基に編集した。ローマ郊外でカタコンベの一つを訪ねたことがある。地下墓地には最初の部分に儀式を行うかなり広い空間があった。そこを女性執事フィベの第1回朗読会の場所と定め記事にしてみた。貴婦人や女性長老プリスカも登場させ、奴隷たちをうならせ喜ばせると、重厚な「ロマ書」の中からいきいきとした群像がたちあらわれ、人々の息吹が感じられるのには、わたし自身驚いた。
あなたも一つ「聖書新聞」を刊行してみてはいかがか。題材は聖書じゅうにころがっている。「エデンの園新聞」から「黙示録新聞」まで。聖書が立体化すること疑いなし。
「とこしえの山々は砕かれ、永遠の丘は沈む。しかし、主の道は永遠に変わらない」(ハバクク書3・6)<写真は茶の花>