バルトと歎異抄

shirasagikara2015-10-25

262文字の「般若心経」は、日本人にもなじみ深いお経です。この経典は、204文字のキリスト教の「使徒信条」と共に、それぞれの信仰のエッセンスをしるします。わたしも「ぎゃてー、ぎゃてー、はらぎゃてー、はらそうーぎゃてー、ぼじそわか」と、「空即是色」の意味はつかめぬまま、丸ごと暗誦できたときは「やったぞ」と喜びました。
しかし仏教経典なら、やはり日本人の書いた「歎異抄」(たんにしょう)が好きです。親鸞唯円の「善人だにこそ往生すれ、まして悪人は」の信仰は、キリストの福音に近いからです。
「浦和キリスト集会」を主宰される無教会の伝道者で精神科医でもある関根義夫先生は、「パラクレートス」(慰め主、聖霊)という月刊誌を出していられます。その2015年10月号に「主われを愛す」を掲載され、神学者バルトのことを紹介されました。
あるときアメリカの新聞記者が、20世紀を代表する神学者で、ご自分の背丈より高いほどの著作があるカール・バルト先生に、こう質問したそうです。「端的に言って、要するに、先生は何をおっしゃりたいのですか」。するとバルトは、しばらく考えた後、やおら答えました。「それは『主、われを愛す』ということです」。すごい答えです。「われ、主を愛す」ではありません。すべてを知り尽くした人でないと言い放てない深い一句です。
わたしの信仰の師・酒枝義旗先生が1936(昭和11)年、ドイツ留学の帰途、そのカール・バルト先生を、スイスのバーゼルにたずねたときのこと。酒枝先生が「歎異抄」の「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」の説明をしたところ、バルトはテーブルを叩いて「それこそ福音だ」と言ったそうです。
さすがバルト先生。キリスト信仰の中核は「主、われを愛す」だと喝破し、「いはんや悪人をや」を「これぞ福音」と評価する柔らかさ。ただ「歎異抄」には、キリストの十字架という贖罪の保証がありません。そこがキリスト信仰から見て物足りないところです。しかし、罪人が真っ先に救われるという深い信仰の消息を、福音を知らずに今から700年も前に教えた名僧が日本にいたとは!。驚きであり、誇りであり、日本人の宗教性の高さを示しています。
「イエスはわたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました」(第1ヨハネ3・16)<写真はサザンカ