宮沢賢治とクリスチャン

shirasagikara2015-11-05

雨ニモマケズ」で有名な宮沢賢治が、こんなに多くのクリスチャンにとりかこまれていたとは知りませんでした。雑賀(さいが)信行著「宮沢賢治とクリスチャン 花巻編」は、第1章「花巻の無教会」、第2章「花巻のバプテスト教会」の二本建てですが、いかにも田舎町らしく、無教会とバプテスト教会の信徒同士、仲がいいのです。しかも、これらクリスチャンは、日蓮宗に改宗した宮沢賢治とも、たがいの信仰を尊敬しあい、親しくまじわり、影響を与えあっています。賢治自身、盛岡高等農林の学生時代、教会のバイブル講義に通っています。
初めて知ったのは、賢治に「基督再臨」という詩があったことです。「おまえらは/わたしの名を知らぬのか/わたしはエス/おまえらに/ふたたび/あらはれることをば約したる/神のひとり子エスである」(全集2巻p224)。これは再臨運動の内村鑑三の影響だと著者はみています。鑑三と賢治は同じ理学系で、しかも真剣な信仰者という共通した心情があったというのです。
その内村の弟子の斉藤宗次郎は、賢治の「雨ニモマケズ」のモデルの人物ともいわれ、小学校長の照井真臣乳(まみじ)も有力な無教会信徒で、賢治の小学5年生の担任です。賢治の父・宮沢政次郎は、内村の「聖書之研究」誌の読者で、斉藤宗次郎が非戦論事件でごうごうたる非難を浴びたさい擁護者の一人でした。
本書は丹念な考証の上に、花巻のまちの大路や裏道をかけめぐり、まるで賢治の息づかいがきこえるような筆の運びで、賢治のまわりのクリスチャンを、おもしろいようにつぎつぎ登場させます。
本書の表紙を飾る、賢治が後ろ手に土を踏む有名な写真(上掲)を撮った藤田写真館は、賢治の家から数軒南です。その写真館との間に、のち救世軍山室軍平と結婚した佐藤機恵子の実家があり、写真館の南隣りには、花巻バプテスト教会の重鎮・島栄蔵が住み、写真館の向かいはやはり教会員の永田耕作、その北隣りは中村豊吉・陸郎・愛子ら熱心なクリスチャン一家がおり、みな賢治と親しい仲でした。
これまであまり知られなかった、宮沢賢治の新しい側面を明らかにした画期的な労作でしょう。(雑賀信行著「宮沢賢治とクリスチャン 花巻編」(2015年9月21日 雑賀編集工房刊 B6判 254p.1500円 電話・FAX. 042-668-5586)
「鉄は鉄を研ぐ。そのように人はその友の顔を研ぐ」(箴言27・17 口語訳)