九〇歳の「五分間 結婚式・式辞」

shirasagikara2015-11-15

ただいま、お読みした旧約聖書の、天地創造の神さまのことばに、「人は独りでいるのはよくない。彼に合う助ける者を造ろう」とありました。この「合う」ということば。これは「ぴったり合う」という意味です。目方を量る天秤の、こちらの皿に新郎を乗せ、こちらの皿に新婦を乗せる。すると、ぴったり同じ重さだというのです。どちらが偉いというのでなく、同じ値打ちを持っているということです。
つぎに新約聖書のキリストのことば。「人は父母を離れて妻と結ばれ、二人は一体となる」。この「離れる」は「捨てる」という強い表現です。また「結ばれる」は接着剤のように離れない意味です。まず初めに夫婦がある。そこから子が生まれて親子関係ができるのです。親子関係が第一で、その子どもに嫁が来る、婿が来るという考えとは逆です。
あるお母さんが、息子の運転するくるまの助手席に乗っていると、「お母さん、ボク結婚したら助手席に嫁さんを乗せるよ。母さんはバックシートだよ」と息子が言いました。そうです。結婚を期して新しい夫婦は、親離れしてフロントシートに並ぶのです。ときには男性が、ときには女性がハンドルをにぎります。そして両家のご両親は、子離れしてバックシートに移り新家庭の二人を見守るのです。
しかしこれは親不孝のすすめではありません。あなたがたを、ここまで育ててくださったご両親の愛があって、いまの君たちがあるのです。仏教に「感恩経」というお経があります。その「さわり」はこうです。
「美しかりし若妻も、おさな子ひとり育つれば、花のかんばせいつしかに、衰え行くこそ悲しけれ。幼きもののがんぜなく、ふところ汚し背をぬらす。不浄をいとう色もなく、洗うも日々にいく度ぞや。髪くしけずり顔ぬぐい、衣を求め帯を買い、うるわしきはみな子に与え、親は古きを選ぶなり。もし子遠くへ行くあらば、帰りてその面(おも)見るまでは、寝てもさめても子を思い、出ても入りても子を思う。おさなご乳をふくむこと、一八〇石(こく)を越すとかや。まことに父母の恵みこそ、天のきわまり無きがごとし」。
三つのことを申しました。第一は、夫婦は同じ重さだということ。第二は、新郎・新婦は親離れしてフロントシートに並んで座り、両親は子離れしてバックシートに移ること。第三は、あふれる愛をもって新しい親子関係を築くということです。
「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」(マタイ19・6)<写真は落ち葉>