昭和天皇と、いまの天皇と、わたし

shirasagikara2015-12-25

いまの天皇が誕生された昭和8年(1933)12月23日、わたしは小学校3年生でした。先生から、きょう皇子誕生なら歩兵の練兵場で大砲が1発、皇女なら2発鳴ると聞かされました。やがて大砲が1発とどろいたのです。耳をすましていても2発目は鳴りません。教壇の先生が「バンザイ」と両手を挙げ、わたしたちも「バンザイ」をしました。
その天皇が一昨日、82歳になられました。歴代天皇の中でもっともリベラルなかたなので長寿を祈ります。
わたしは先代の昭和天皇には反感がありました。帝国陸軍に入隊してみると、そこは天皇の軍隊でした。朝夕、明治天皇が出された「軍人勅諭」の「忠節・礼儀・武勇・信義・質素」の五つの徳目を高唱し、その勅諭には「上官の命令は朕(チン・天皇)の命令」としるされ、従わないと「抗命罪」で営倉(兵営監禁所)行きです。
あるとき小銃の銃口のふたの銃口蓋(じゅうこうがい)を砂浜でなくした戦友がいました。「天皇陛下(へいか)の兵器だぞ!」とどなられ、砂浜に一列に腹ばいになり、匍匐(ほふく)前進して、日暮れまで小さな銃口蓋を探しましたがありません。そのとき、わたしは戦友でなく天皇をうらみました。ほんとうは天皇の名で威張った上官が悪いのですが、わたしはずっと天皇嫌いでした。
日本の軍隊では、兵隊は天皇のために死ぬのです。入隊前わたしは、見たこともない天皇のためには死ねないと苦しみ、行き着いたのがキリスト信仰でした。奇妙なことに、天皇嫌いのおかげでキリスト信徒になったのです。わたしは天皇の兵士でなく、キリストの兵士として生き、また死のうと決心しました。
私人としての昭和天皇は賢明で学者肌。歴史上はじめて一夫一妻を守った人格者です。しかし入隊前に天皇で苦しんだわたしは、入隊後いっそう天皇嫌いになりました。
いまの天皇は、柔らかでリベラルな「天皇家」をつくっていられます。昭和天皇のように「血のにおい」はしません。ただ「天皇制」の固い殻につつまれ、皇室典範に固められて女系天皇も認めない天皇制は、固いだけもろいのでないでしょうか。「柔らかい天皇家」にならい「固い天皇制」を柔らかくしたほうが長持ちするでしょう。
「わたし(神)によって王は君臨し、支配者は正しい掟を定める」(箴言8・15)<写真はツタの黄葉>