新春の着物 キリスト信仰の自分模様の紬織り

shirasagikara2016-01-05

キリスト信仰も最初は細い糸を紡(つむ)ぐことから始まります。糸ができるとさまざまな色に染め、タテ糸とヨコ糸を機(はた)にかけ、自分模様の信仰に織り上げるのです。タテ糸はキリストとわたしの関係、ヨコ糸は隣人とわたしを結ぶ糸です。
日本の紬(つむぎ)は、屑繭(くずまゆ)や真綿を紡ぎ、美しく丈夫な着物に織られるので、外出着にもなり普段着(ふだんぎ)にもなります。キリスト信仰も、丈夫で長持ちし、毎日着こなし、いざというときは周りのかたに「キリストさまは、すばらしいお方」と証ができる信仰に織り上げたいものです。
つむぎ始めの糸は細く、すぐ切れやすいもの。キリスト信仰も、信じた最初は、おぼつかなく頼りなく思えます。その細い糸に縒(よ)りをかけ、引き伸ばされるとしっかりしてきます。着物はすべて糸でできていますから、この細い糸の縒りの強さが大事な基本です。
キリスト信仰も、伸びてゆく信仰はこの縒りの基本ができているのです。その条件は三つ。第一は「毎日、聖書に親しむこと」、第二は「毎日、祈って神さまを仰ぎイエスさまに親しむこと」、第三は「キリスト信仰の師友と親しむこと」です。この三本の細い糸が縒りあわされて、強く、しなやかで、つややかな信仰の糸になるのです。
つぎに、自分色に糸が染まるのです。ある方はカトリック教会のそれぞれの修道会の色、ある方はさまざまなプロテスタント教会の色。これは、たまたま足を入れた教会の色です。色が多彩なほうが織りあがったさい見事です。
その染め上げた糸を、まずタテ糸を機(はた)にかけて引き延ばします。キリストさまへ自分の腰から一直線に並べ強く張りわたすのです。そしてヨコ糸を巻き納めた杼(ひ)を使ってタテ糸の間を素早く左右にくぐらせながら、「ガッチャン」と足で踏んで締めこみ自分模様に織ってゆきます。これは左右の隣人との絆です。
新年、どの教会にも、この「神さまと自分」というタテ糸と、「自分と隣人」というヨコ糸で織られた、自分模様の紬を着たさまざまな信徒が群れるさまは、楽しく美しいものです。だれの作品が一番というのでなく、みなすてき。大事なのは「一所懸命」に織ったか、どうかだけです。偉いお方はただひとり、キリストさまです。
「イエスの下着は縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった」(ヨハネ福音書19・33)<写真は蝋梅>