「からだに入った」ドキドキする福音

shirasagikara2016-01-15

新年、うれしいお便りをいただきました。
「わたしは三年生の聖書の授業を担当してきたのですが、聖書の授業をするのが、うれしくて、うれしくてなりません。聖書から与えられた恵みを伝えることは、ほんとうに楽しいです。新しい発見、感動を、与えられた喜びを伝えるのです」。
これは島根県江津市キリスト教愛真高校・小田弘平先生の手紙です。先生のおゆるしを得て掲載しました。まず先生自身がこんなによろこんでいられます。ドキドキする福音が先生の「からだに入って」、そこからあふれているのです。こんな先生に聖書を教えられた生徒は、聖書が好きになるに違いありません。
昨年、安保法案が審議されたとき、国会議事堂をとりまく群衆の中に、注目されたSEALDs(シールズ)という学生の一群があり、その一人明治学院大学生・奥田愛基君は、9月15日参議院の中央公聴会で、元最高裁判事らとならび反対意見をのべました。彼は小田先生の教え子、愛真高校の卒業生です。
昨年12月、わたしが医学生の孫を連れて、国立ハンセン病療養所東北新生園をたずねたとき、わたしの福音の話を聴いてくれたのは「いそちゃん」と「つやちゃん」の二人です。「いそちゃん」は手が弱く聖書を持てません。「つやちゃん」は盲目で聖書は読めません。ただ右の耳は大きな声なら聞こえます。わたしは「つやちゃん」の右側の耳のそばにあぐらをかき、聖書を開かず大声で福音を話しました。「いそちゃん」は、ふとんに寝そべって頬杖をついて聴いています(写真・左がいそちゃん、右がつやちゃん、中央筆者。孫の謙太撮影)。
そのとき、ふとおもいました。ペトロさんや、パウロさんたちが福音を話したとき、まだ新約聖書がなかったわけですから、「からだに入った福音」を語ったはずです。そうだ、わたしも小さい分量ながら、そうできたらうれしいなとおもいました。
わたしの話のあと「つやちゃん」が言いました。「いそちゃんは、たいしたもんだ。目も見えるし、聞こえるし、自分で動ける」。わたしは「いそちゃんは両手の指は開かない、足もいざっている」と、「つかめない、歩けない」と出来ないことを数えていたのに、「つやちゃん」は、いそちゃんの出来ることを数えていたのです。これこそイエスさまの「パンはいくつあるか」と同じ立場です。福音を話しにゆくと、逆に教えられます。ドキドキする福音を。「パンは五つあります。それに魚が二匹」(マルコ六・三八)