103歳、五つの感謝

shirasagikara2006-04-27

103歳の母の介護は、ほとんど1階で母と同居の妹夫婦がしている。家内は呼ばれるつど二階から降りて面倒をみる。わたしは朝、半紙に父の短歌を書き母に見せる程度だ。けさの一首はこれ。
「サマリヤの井戸より妻の汲みて来し水ひと息にのみほしにけり」
母に「103歳まで生きて良かったことは」とたずねると、ゆっくり指を折った。
「キリストを信じたこと」。「子や孫も同じ信仰のこと」。「家族といっしょに住んでいること」。「お茶を楽しんだこと」。「外国旅行へ何度も行けたこと」。
そして「まだあるかも知れんから、そのうち考えとく」。
そしてぽつりと言った。「みなに大事にされていること」。「孫もひ孫も大事にしてくれる」。
「そうや、人間70歳でむかしの少将や。80歳で中将。90歳で大将。100歳すぎると元帥や。お母さんは元帥。威張っとったらええ」「そうやな」。妄想も見るが、呆けてもいない。
母は100歳から「毎年衰え」、103歳から「毎月衰え」、この春から「毎週衰え」ているように思う。最後のありがたい時間をいただいている。104歳の誕生日まであと125日。
「その信仰の、さきになんじの祖母ロイス、およびなんじの母ユニケに宿りしごとく、なんじにも然るを確信す」(第2テモテ1・4、文語訳)
(写真は4月23日の日曜日。礼拝になると不思議にしゃんとなる)