季節感と人生の四季

日本は春夏秋冬の季節感のはっきりした国だ。そこから季節のうつろいを詠む世界最短の詩・俳句が生まれた。しかも無数の庶民が俳句に季節を詠む。こんな国は少ない。
12月31日の大みそか。仕事も勘定も掃除も飾りつけも全部終える。元日の午前は日本中静まった。きっちり年月の区切りをつけ、生活の中の季節を折り目正しく守っていた。
それが今は崩れて、初荷は2日なのに、元日から売り出しがあり、スーパーは24時間営業。冬でもイチゴやトマトやアイスクリーム、なんでも御座れの騒がしい日本。
ただ自然のうつろいは変えられない。神さまの大きな手は押しとどめられない。
うれしいことに、聖書の世界も春夏秋冬のけじめがある。「秋の雨と春の雨」(エレミア5・24)。「冬は去り、雨の季節は終った」(雅歌2・11)。「夏の日照りにあって衰え果て」(詩篇32・4)。
しかし秋が春に先立っている。それは「年の終わりに、取り入れの祭りを祝いなさい」(出エジプト)とあるように、古代社会では秋の収穫が1年の終わりと、始まりだったからだ。今の暦とは違う。
人間にも春夏秋冬がある。青年期を青春とよび、働き盛りの夏があり、収穫の秋が来て、老年の冬で終わる。この冬季老人に、2006年の春夏秋冬、毎日ブログを書かせてくださった主の恵み。
「主が年の初めから年の終わりまで、常に目を注いでおられる」(申命記11・12)