三つの葬儀

正月の3日、墨を磨って書初めを始めたとき電話が鳴った。古い友人からだ。いま57歳の娘さんが召されたという。司式を頼まれる。40日あまり前、わたしが病床で洗礼をした女性だ。病院に駆けつけ遺族に葬儀社を交え相談。まず葬儀場の選定。幸い病院付属の教会が借りられた。1月4日は前夜式、5日は告別式。そして火葬。
1月14日、83歳の信仰の友人が召される。司式を依頼される。高校教師生活が長く、生徒に慕われた方なので、これまた200人以上収容の葬儀場探し。いくつか教会に問い合わせても適当なものがなく、御茶ノ水・クリスチャンセンターが1月29日に、たまたま空いていて安心。15日納棺式。17日家族のみで密葬と火葬。その司式。
1月21日、わたしの母・藤尾貞子が病院で召された。106歳5ヵ月。少し前から「顎(あご)で呼吸を始めたのであと数日の命」と医師から告げられていた。20日に家内と見舞ったさい、たしかに顎呼吸で、酸素吸入の管をくわえ、下顎を下へ動かしている。しかし熱もない。苦しそうでもない。
「力なく顎(あご)で息する百六の母言いたげにわれを見上げぬ」(1月20日
21日も、家内と見舞い、耳元で祈り、賛美歌を歌った。まさか1時間後に召されるとは思わず帰宅。すると危篤のしらせ。22日、家族だけで別れの集会。子、孫、ひ孫ら18人が感話。23日、献体のため東京女子医大へ送り出す。
83歳の友人の「お別れ式」の準備が24日から28日まで。会場の下見、式進行の打合せ。式辞の原稿つくり、式次第の原稿。そして式辞20分の暗唱4回。そのあいだ、母死亡通知200枚印刷発送。ただちに電報、葉書、手紙が殺到。29日のお別れ式。240名参席。「人は生きたようにしか死ねない」。彼らしい式。31日は「お別れ式」のわたしの話を、ホームページの「人物短評」に掲載。いやはや、三つの葬儀で明け暮れた正月。主のあわれみで感謝のうちに終了。ああ、しんど。
「主の慈しみに生きる人の死は主の目に価高い」(詩篇116・15)