奥丁子桜が咲いた

shirasagikara2012-04-02

庭の奥丁子桜が咲いた。これまでになく小枝の隅々まで丁子型の小花をつけた。枝の同じ場所から、二つの小花がΛ型に咲くことから、この名がついた。「奥」とは、日本の東北の奥羽地方の花だからだ。
山形県の基督教独立学園の「夏の学校」に、毎年話に行っていたころ、助川暢校長が学園の裏山から堀り起こしてくださった。くるまに積んで帰り庭の南の塀ぎわに植えた。早く大きくならないか、早く塀より高くならないかと、毎日にらんでも、だめ。それが4、5年してやっと150cmほどの塀を越したときはうれしかった。せっかくのその枝を、秋に植木屋がまた刈り込んだ。「桜切るバカ、梅切らぬバカ」というが、植木屋も桜と気づかなかったかも。
それが昨年3月11日の東日本大震災で、横の燈籠がぐらっと傾き、その笠石をコンクリ塀と奥丁子の幹が支えた。上の宝珠の小石は転げ落ちた。わたしには奥羽育ちの奥丁子が、けんめいに重い燈籠石を支える姿が、津波に襲われた東北の人々の耐えている姿と重なって見えた。10日ほどして庭師が燈籠の傾きをなおし、奥丁子桜は偉そうな顔もせず、なんでもなかった姿で花をつけた。今年は、さらに大きく3mほどの見上げる高さになり、ひろがる小枝に満開の花だ(写真)。
キリスト信仰も、まず「植えられ」「育てられ」「神に喜ばれ」「人の支えとなる」信仰がいい。日本人は「早く芽を出せ柿の種」とせっかちだが、植物はにらんでも、叱っても育たない。
内村鑑三が米国のアマスト大学に留学中、信仰の悩みをシーリー総長にうちあけたとき、総長は「君は、自分の信仰はどれだけ伸びたかと、植えた木を毎日抜いて根を調べているようなものだ。太陽の熱と、天からの雨で木は育つ。神さまにゆだねるのです」と教え、内村は大安心を得た。信仰や教会を大きく「しよう」とするな。それは神さまに育てられ大きく「なる」ものだ。
「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です」(第1コリント3・16) <写真は庭の奥丁子桜>