ことばを研ぐ

shirasagikara2006-02-03

わが友、韓国の詩人・李烈(イ・ヨル)は「ことばは節制の中で/うるおい出で/苦悩がうち鍛える/霊の/色どり雨だれにきらめく」と詠んだ(ある悲歌「受難曲」所収)。そうだ、節制の中でことばは鍛えられ、うるおいをおびてきらめく。
「ブログ」を始めようと「日記を書く」をクリックすると、原稿欄は1行が37字だ。11行書けば407字。この400字だと読者も読みやすく、文章も研げると思った。
ふつう雑誌原稿は400字何枚と限られる。しかしホームページの「インターネット聖書ばなし」は制限なし。自由に書けるが文章力は衰える。文章は研いて鍛えたいもの。
短い文章にかえって余韻がある。余韻は残響だ。福音書のイエスの短く鋭いことばは、2000年のあいだ、殷殷(いんいん)とした響きでとどろきわたる。
「ああ幸いだ、悲しんでいる人々」。「一日の苦労はその一日で十分だ」。「おいでよ、重荷を負わされて苦労している人、わたしが休ませてあげる」。涙のでるほど美しい残響。
「おりにかなって語る言葉は、銀の彫り物に金のりんごをはめたよう」(箴言25.11)