ぶざまな聖火リレー、中国の誤算

北京オリンピック聖火リレーが、日本でもおとといの土曜日、長野市街を走った。3000人の警官に守られたぶざまなリレーだった。まさか聖火リレーで、世界中に「チベット人権問題」が撒き散らされようとは、思っても見ない中国政府の誤算だ。
チベット民族の思いは、むかし日本が植民地支配した朝鮮民族の思いと重ねればよくわかる。チベットは中国の一部だ。朝鮮も日本の一部だ。とんでもない、それは支配する側の論理で、支配される側には屈辱だ。チベットまで鉄道を敷いた。朝鮮半島に鉄道を敷いた。その青蔵鉄路は漢民族チベットに進出する道具になった。朝鮮の鉄道は日本資本が朝鮮をかけめぐり、日本が中国に軍事展開する動脈になった。支配する側がどんなに善意をふりかざしても、される側の傷は深い。
民族問題の根深さは、バルカンや、グルジア、チエチエン紛争をみてもわかる。アメリカのキリスト教会でさえ、日本人教会、韓国人教会、黒人教会と、民族ごとに礼拝している。民族の血のつながりと言葉や共同食事や習慣が、こころの琴線にふれるのだ。
チベット問題の複雑さは、民族問題だけでなく、チベット仏教という、共産党の中国政府がいちばん苦手な宗教に根ざすからだ。中国政府は当面ダライラマと妥協する形をとって、8月のオリッピックまでをしのいでも、誇りあるチベットの宗教や歴史や文化を格段に尊重しないかぎり、反抗心は募るばかりだ。宗教に根ざす反抗は死をおそれない。あのイスラム教の自爆テロのように。
「時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです」(エフェソ5・16)