予定なし時間あり 老人

shirasagikara2014-08-25

ずっ〜とむこうまで、べったり予定がないのです。「老人になると予定がなくなる」とは聞いていましたが、その日が来たのです。真っ黒になるほど「予定」を手帳に書き込んでいたのに、もう手帳すらありません。「予定なしの老人」は、「何もすることのない老人」にもなれば、「時間の主人公」にもなれるのです。若いころは時間に追われる「時間貧乏」でしたが、時間が自由に使える「時間金持ち老人」になれるのです。
89歳になっても、したいことや、好きなことがあります。それが自由にできるのです。本を読んだり、ブログの文章を考えたり、水彩や書道の筆を執ったり。それを根をつめないで「あとは明日だ」と、ゆったりできるのです。それに好きなとき、好きなだけ、昼寝ができるのも「予定なし老人」のうれしいところ。
予定がなくなり、家にいることが多くなれば、人に会うことも減り、妻以外にだれとも会わない日々さえあります。それでも、インターネットのブログやメールで、居ながらにしてたくさんの方と、音も静かに「キリスト者の交わりと伝道」ができるとは、なんという感謝でしょう。
あの「十五の驚き」が口からあふれます。「なんという恵み、なんという祝福、なんという恩寵、なんという平安、なんという自由、なんという静けさ、なんという明るさ、なんという豊かさ、なんという楽しさ、なんという美しさ、なんという選び、なんという救い、なんというあがない、なんという幸い、なんという喜び」(正人「いや喜びです」所収)。
このごろは、足が弱って歩くのが遅いだけでなく、食べるのも遅くなり、妻と差し向かいの食事に1時間もかかります。食後、妻が、新聞やテレビでわからない「世界の出来事」や「歴史」について質問をします。時間を気にせず、ていねいに答えると、「あなたの話はよくわかる」と喜びます。日本や世界のことが気になりますが、主が万事を最善に替えてくださるのを祈るのみです。こんな年寄りを、金のかからない「時間金持ち」にしてくださって「ありがてぇや イエスさま」。
「なんという恵み、なんという喜び」(詩編133・1)<写真はムクゲ