2012-01-01から1年間の記事一覧

祈られている

わたしの友人が出張で米国へ行ったとき、日曜の朝、泊まった大きな街で礼拝したいと思って教会を探した。彼は米国の大学も卒業し英語は堪能だ。ところが1ブロック、2ブロックと探しまわっても教会が見つからない。どの教会でも礼拝開始の時間はほぼ同じなの…

家庭に祭壇を築く

5月24日(木)、招かれて「鎌倉・笛田 家庭集会20周年記念」のお集まりに参加した。10周年で、お招きをうけたさいは、広い会場を借り、健在だったご主人が司会をされた。7年前、ご主人が主に召されたあと、その志を継いで、夫人が中心になり何人ものお仲間と…

三つの「キリスト教・金環日食」

きょう二〇一二年五月二一日の朝、日本各地で金環日食が見られました。太陽と月と地球が一直線に並び、月から太陽がはみ出して金環が輝きました。 キリスト教の歴史でも、その麗しい「金環日食」が三度あらわれています。 最初は、イエス・キリストの誕生の…

モルモン教徒の大統領候補

米国共和党大統領候補は、モルモン教徒のロムニー氏にほぼ決まり、改めてモルモン教に関心が集まっている。アメリカ合衆国は、もともと信教の自由を求め、カトリックや、英国国教会の迫害を逃れたピューリタンが始めた国だ。その伝統からいえば、モルモン教…

一瞬の出会いと別れ、珍しい方々に会う

1944年秋、ある方の紹介で、日本陸軍へ入隊時に、たすきがけにする日の丸へ高村光太郎が署名してくださるという。光太郎の妹様と落ち合って先生の自宅を訪ねた。出てこられた先生は「どこの部隊へ入るの」「はい、船舶隊です」「そう、命はないね」と言って…

「金歯差せよ」おおらかな韓国と几帳面な日本

韓国の京畿道水原市から全羅南道の光州市まで、ひとりで汽車に乗った時のこと。かなり混んでいるお客を縫って、売り子が声をあげる。びっくりしたのは「キンバサセヨ」の声。「金歯差せよ」とはなにかと売り子の近づくのを待った。なんと「のり巻き」だった。…

今、なぜ内村鑑三か

米国で繰り返し伝記が出るのはリンカーンだ。人気がある。日本では内村鑑三が突出している。ぼう大な「内村鑑三研究文献目録」も出るほどだ。そこへ「内村鑑三」を1990年に発表した文芸評論家・新保祐司の編集で、「内村鑑三 1861−1930」が、鑑三生誕150年を…

「平凡をもって貴し」となす

「朝日新聞」は4月12日(木)夕刊で、9日付け夕刊に関西電力関係記事に誤報があったと謝罪した。テレビや新聞は、日本や世界の出来事を報道する。その報道は事実を伝えようと努力する。しかし、ときには誤報もあるし、その事実にも二つの問題がある。ひとつ…

ひとつ屋根に70名の家庭集会

招かれて聖書の話にうかがった家は、大きな玄関を入ると正面が階段。右手にピアノがある応接間、左が和室の居間らしく、その奥に食堂が見えた。応接間には25人分ほどのソファや椅子が用意されている。最初わたしは、この部屋だけで集会するものと思っていた…

奥丁子桜が咲いた

庭の奥丁子桜が咲いた。これまでになく小枝の隅々まで丁子型の小花をつけた。枝の同じ場所から、二つの小花がΛ型に咲くことから、この名がついた。「奥」とは、日本の東北の奥羽地方の花だからだ。 山形県の基督教独立学園の「夏の学校」に、毎年話に行って…

イエスさまは、ヤコブとヨハネの「いとこ」?

6年かけて「十二使徒群像」を彫ったおかげで、十二使徒と仲良しになった。ユダの広げた右手を彫るときは後ろから抱いて指を削る。「ユダさん、あんたも苦労したね」とささやきながら。 わたしの十二使徒は上段3人(アンデレ、ペトロ、ユダ)、中段4人(フィ…

信仰のやせがまん

人間「がまん」が大切です。幕末開港の長崎で、万という数で出てきた「かくれ切支丹」(カトリック教徒)の扱いに困った幕府は、西国34藩に3394人を預けました。土佐藩の拷問部屋で「母ちゃん座りたいよ」と、子どもでも狭さをがまんしている姿に感動した片…

1年目の「3・11」と、67年目の「3・10」

そして1年。あの3月11日だ。日本は地震や津波だけでなく、夏から秋にかけての台風は、琉球列島を毎年襲撃し、九州、四国や本州にも時々上陸する。そのたびに河川の氾濫や交通網の寸断など、天災人災が入り混じる。そのうえ戦乱がある。67年前の1945年、日本…

感心する人々と日本の牧師

昨年の東日本大震災で、住民に「すぐ避難してください」と、くりかえし放送しつづけ、自分は津波に襲われて死んだ岩手県南三陸町の若い女性職員や、宮城県岩沼市の男性職員がいた。偉い、感心する。津波の泥をかぶった被災者の写真やアルバムを、ていねいに…

新約聖書が削除した旧約聖書の王様

聖書は神のことばで、一言一句、間違いがないとされた。しかし新約聖書は、あの大工の子イエスが、神の子・キリスト・救い主だと主張するために書かれたので、時には大胆にも歴史の事実さえ無視することがある。 新約聖書の巻頭にマタイ福音書があり、そのま…

日本の封建制と教会のつぶつぶ運動

五〇年ほど前、韓国光州市の大学校の総長がたずねて来られ「日本の封建制を研究しに来た」と言われ驚きました。当時「封建的」は「旧悪」の代名詞だったからです。 総長は「韓国と日本を較べ、近代化で韓国が日本に遅れを取ったのは、李朝五〇〇年間、中央集…

無残な十字架、シンプルな十字架

1月23日のブログで、渡部良三さんの「中国八路軍捕虜虐殺拒否」のことを書いたが、そのとき、ふと思ったのが、キリストの十字架の死だ。それは両手両足を十字架に釘づけし、天空にさらして出血多量と脱水症状で、じょじょに失血死させる残酷なローマの刑罰だ…

むき出しのイエスに迫る「ケセン語訳 イエスの言葉」

本書の著者・山浦玄嗣(やまうら はるつぐ)は篤学の学究で、元東北大助教授の町医者。しかもカトリック。カトリック信徒は、聖職者を除き聖書原典に迫る気迫に乏しいとの迷妄を砕かれました。 著者には、すでに「ケセン語入門」「ケセン語大辞典」「ケセン語…

蝋梅と雪雫

1月23日(月)夜、予報どおり東京にも雪が積もった。「真っ白な雪よ」という妻の声に、夜なか、わたしも窓を開けて「赤穂浪士が討ち入りした晩くらいの雪だ」と答えた。 朝になると、白雪が庭をおおっていた。音が消えてる。小鳥はどうしているか。蝋梅が朝…

中国八路(共産)軍捕虜虐殺拒否ー「歌集・小さな抵抗」

ほんとうに高い山は、離れるほど高くせり上がってくる。人間もそうだ。年をへてせり上がってくるのが本物だ。渡部良三著「歌集・小さな抵抗ー殺戮を拒んだ日本兵」(岩波現代文庫s234・2011年11月刊)を著者からいただいたとき、そう思った。壮絶な歌集であ…

年賀状、年間状、E賀状

1月15日は「お年玉つき年賀葉書」の当選発表日。しかし、わが家では年賀状をやめてすでに久しい。もう30年にはなる。毎年いただく賀状がふえ、超忙しい師走に500枚も宛名を書いていられなかった。それに毎月「はがき通信」を出していて、100枚あまり、おもな…

「だらけ」の風景

「だらけ」と言っても「だらける」話ではない。むかしも今も信じられない「××だらけ」の風景が日本にある。 150年前の1862(文久2)年ころの日本は「お城だらけ」だ。幕末の日本で、50万石以上の大々名は8家。30万石以上が8つ。15万石以上の大名が15個。10万…

上に投げる。神さまがこれから、どうされるか楽しみ

「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい」と、ペトロが言ったとき、彼は「任せられなかった自分」を恥じていた(第1ペトロ5・7)。 あのガリラヤの湖で、主が逆風のなか、水しぶきを浴びて現れたもうと、十二弟子は恐怖の叫び声をあげた。すると「安心す…