信仰の平熱 平凡な信仰

八九歳の老人。ことしで洗礼を受けて七〇年になります。いろんなタイプのクリスチャンと出会いました。驚くほどの「強い信仰」「広い信仰」「深い信仰」「熱烈な信仰」「静かな信仰」の方々です。 しかしいま、ふり返ってみると、大事なのは「平凡な信仰」だ…

あたまの信仰、からだの信仰

ひとくちに「キリスト信仰」といっても、「あたまの信仰」と「からだの信仰」があります。だれしも最初は、キリストが救い主であること、キリストの十字架の死により罪ゆるされ、その復活で永遠の命が与えられることを心で信じ、あたまで納得し、口で信仰告…

予定なし時間あり 老人

ずっ〜とむこうまで、べったり予定がないのです。「老人になると予定がなくなる」とは聞いていましたが、その日が来たのです。真っ黒になるほど「予定」を手帳に書き込んでいたのに、もう手帳すらありません。「予定なしの老人」は、「何もすることのない老…

キリスト信仰と「仏壇」

お盆です。お盆といえば主人の実家へ帰り、お墓と仏壇が待っています。クリスチャンの女性が、キリストを知らない男性と結婚したさい、この「仏壇」が問題になります。、主人の実家の行事に参加しなくてはならないからです。そのとき「わたしはクリスチャン…

敗戦記念日 それからのガラガラとニョキニョキ

八月十五日が近づくと、わたしのような老人は、あの暑かった1945年の「日本敗戦の日」をおもいだします。一つの国が亡び、目の前で歴史が大きく動きました。あの敗戦後、日本ですごいことが起こったことを若い方たちにも、知ってもらいたいのです。 まず神と…

さつま揚げと福音 「ああ違う、ぜんぶいい」

本場・鹿児島県産のさつま揚げをいただいた。一口食べて「ああ違う」とおもった。二口、三口食べて「ぜんぶおいしい」と感じた。そのとき「ああ違う、ぜんぶいい」という福音の話ができればいいなとおもった。じつはむかし、そんな話を聴いた経験があるから…

「氷点」50年 五十嵐健治と藤尾英二郎

50年前の1964(昭和39)年7月中旬、北海道旭川の三浦綾子さんから、東京のわたしの父・藤尾英二郎に電話があった。「先生、朝日新聞の懸賞小説に当選しました」。同じ電話を、綾子さんは神奈川県茅ヶ崎の五十嵐健治・白洋舎相談役にもかけていた。 7月21日、…

白洋舎新本社落成式のことば

きょねん、ここで起工式がありました。そのとき見えていた地面はいま見えません。聖書も埋めましたが見えません。その地面に鉄の杭がうちこまれ、コンクリートが流しこまれて土台が出来、この本社が完成しました。いま見えなくなった土台が、この建物を支え…

本気のキリスト信仰

人がキリストを信じようと決心するのは、説教を聴いたり、本を読んだりしたときよりも、本気でキリストに生きる人を見た場合が多いといいます。 大阪の井上くにえさん。母上は外出先から帰宅すると、いつも羽織のすそをぱっとはねて座敷の真ん中で両手をつき…

目をあけて祈る習慣を

ユダヤ教では「目をあけて祈る」のが習慣だったのに、どうしてキリスト教では「目を閉じて祈る」のでしょう。たぶんイエスさまが「祈るときは、奥まった自分の部屋で、戸を閉じ、隠れたところにいられる神に祈れ」と教えられたからではないでしょうか(マタ…

人生で、イエスさまと出会う

新約聖書の「ヨハネ福音書」4章に、シカルという町で、サマリア人の女性がイエスさまと出会う話があります。 女性は人生に疲れていました。イエスさまは旅に疲れていました。ユダヤから足早やに逃げてきたからです。なにから逃げられたのでしょう。ユダヤで…

放っておけないほどの愛情と信頼

二階に住む長男一家がシュナウザーの小型犬を飼っていて、孫娘が「小鉄(コテツ)」と名づけました。 見わたして、犬ほど種類が多い動物はいません。たいていの動物は形の上では同じです。鼻の短い象、首の短いキリン、足の長い豚はいません。しかし犬には、…

織田楢次牧師の朝鮮伝道

むかし織田楢次という朝鮮伝道者(一九〇八〜一九八〇年)にお話をお聞きしました。「チゲックン(韓国の背負道具での運搬人夫)」という伝記も書かれました。心に残ったことが二つ。 一つは、昭和の初め神学校を出て、当時日本の植民地だった朝鮮へ伝道に渡…

「学士様なら娘をやろか」 藤井武と妻の喬子

藤井武という伝道者(一八八八〜一九三〇)は、真心から妻・喬子を愛していました。喬子の父・西永公平は弁護士で、第二〇代石川県会議長(一九一八〜一九・大正七〜八年)を務めた名士です。藤井武も金沢の県立一中から東京の第一高等学校をへて、東京帝国大…

マイクなしで、五〇〇〇人に叫ぶイエス

イエスさまは荒れ野で五〇〇〇人の群衆に話されましたが、マイクもない時代、声は届いたのでしょうか。 むかし日本陸軍の船舶幹部候補生隊入隊式で、二〇〇〇余名の候補生が広い営庭に整列させられ、指揮台という三方から上がる高い演壇に部隊長が立ち、いき…

「受難 追体験」フィリピン信徒9人が十字架に

カトリック教徒の多いフィリピンで、プロテスタントの伝道を、もう三〇数年もつづけているマニラの「日比聖書教会」の横川知親(ともちか)牧師から、今月も「フィリピン通信・六月号」が届きました。その中の日本語新聞の記事にびっくりしました。 二〇一四…

笑顔のすてきな三人の女性

三人の女性の、すてきな笑顔が忘れられません。赤ちゃんの笑顔のように、その顔を見るとこちらも、おもわず笑顔になるお顔です。 一人目はA子さん。「こぼれるばかりの笑顔」でした。わが家で酒枝義旗という早稲田大学の先生が、毎日曜日に聖書講義をされた…

キリスト信仰鑑定団

この春で放送二〇年になる人気のテレビ番組に、「なんでも鑑定団」があります。有名無名の人々が、自慢の「お宝」を持ち込んで、一流鑑定士にその価値を値ぶみしてもらう趣向です。自分では伝家の宝物と信じて「五〇〇〇万円!」としたものが、五〇万円だっ…

財布を落としました。正直な日本人

五月三日(土)の午後、財布を落としました。自転車でスーパーへ行き、買い物をして帰宅すると財布がないのです。どこでなくしたか、とんとわかりません。家内はスーパーのレジ清算伝票に印刷された電話番号で問い合わせました。すると係員が預かっていると…

「日本は滅びるね」。本を読まない日本の大学生

「花子とアン」。いま評判のNHK朝の連続小説。翻訳家で著名なクリスチャンだった村岡花子さんの伝記が下敷きです。その少女時代、お父さんから「おやゆび姫」の絵本をもらい「ほんものの本だ」と喜び、本が読みたくて教会の図書室に忍び込みます。むかし…

もし中国軍が日本に侵攻して

きょう、4月21日から靖国神社の春の例大祭が始まる。また国会議員が集団参拝するだろう。中国の反発は必至だ。 むかし宮城県の国立ハンセン病療養所・東北新生園を慰問に来た福島県の女子高校生10名あまりに、「キリスト教信交会」代表・佐々木英三郎さんが…

薄い信仰の「花と嵐と水とパン」

「マタイ福音書」で、イエスさまが「弟子の信仰が薄い」と嘆かれたのは、「花と嵐と水とパン」の場面です。 「花」は、野の花でも神さまはこんなに美しく装ってくださる。まして君たちにはと言ったあと「信仰の薄い者たち」とつづきます(6・30)。「嵐」は…

「ありがてぇや イエスさま」の刊行

89歳にもなって、また本をつくりました。題は、おこがましくも、もったいなくも「ありがてぇや イエスさま」(3月25日発行、頒価・1000円)。82歳から88歳まで(2007〜2013年)7年間に書いた、この「月曜ブログ」364編から101編を選んだものです。 7年間のブ…

よろこびの一日・O先生の米寿祝いと孫の洗礼式

3月28日(金)、わが家は「よろこびの一日」となった。 まず、この日88歳の誕生日のO先生へ、尊敬と感謝をこめて「米寿・祝賀会」を開いた。 Iさんは、黄色い「ちゃんちゃんこ」を用意して先生に着せ、大きな黄色の頭巾までかぶらせた。「米寿」祝いが「黄…

大正生まれの不思議な共通体験

近代日本は、明治(45年)、大正(15年)、昭和(64年)、平成(26年〜)と、4代の天皇で150年近くを区切っているが、うち大正天皇は病弱で大正時代は15年で終わった。 わたしは大正14年(1925)生まれの89歳。大正生まれはほとんど死にたえた。それに先の戦…

パンとブドウ酒は「十字架記憶装置」

「わたしを忘れないで」は、だれしものおもいです。小学生でも卒業文集に「先生ボクを忘れないで」と書きます。しかし有名人でも死後30年もたてば、急速に忘れられてゆくのです。 じつはイエスさまも「わたしを忘れないで」と弟子たちに念をおされます。そこ…

大事な時に転んだ十二使徒

森喜朗・元総理が「あの子、大事な時には必ず転ぶんですよね」と評したのは、メダル期待の浅田真央選手が、ソチの冬季オリンピックのフィギュアスケートで転び、日本中が「あっ」と叫んだ時だ。 浅田真央選手は「いま森さんが後悔しているのでは」と、きれい…

自分を消した朝鮮伝道者・乗松雅休

先週のブログで、無心を取り上げましたが、そのような「二重否定後の肯定」で、自分を否定してキリストを指さしつづけた伝道者がいました。その名は乗松雅休。彼こそ無私に生きたたぐい稀な人物です。しかも存命中から無名の中に沈んでいます。しかも、この…

「無心」に舞う 二重否定後の肯定

ロシアのソチの冬季オリンピックで、一九歳の羽生結弦(はにゅう・ゆずる)が、フィギュア・スケートの金メダルに輝いた。その氷上の舞いは、彼の名のとおり「羽」が「生」えたような軽やかさ。 ちょうど著者から贈られた「無心のダイナミズムーしなやかさの…

イエスに驚く「感激力」

むかし瀬戸内海に浮かぶ岡山県・長島の、国立ハンセン病療養所・邑久(おぐ)光明園の家族教会でお話したことがあります。そこで驚いたのは、患者さんたちの「感激力」でした。みなさん走れません。何々をする能力、ありません。元患者の牧師先生もすごい近…